富士河口湖の生活から生まれ、歴史が育んだ織物、大石紬。河口湖北岸大石地区に江戸時代から現代まで受け継がれた伝統の技。
大石紬の由来
河口湖に未だ人口放水路がなかった時代、豪雨の度に湖岸の耕作地はたちまち冠水した。
大石地区の人々は、この増水害を避け御坂山麓の山裾に耕地をもとめて焼畑農業を行い、生計を営んでいた。この山畑に桑を植え養蚕が始まりいつの間にかこの山畑の桑による養蚕が農業収入の主力になり、山畑の大半は桑畑に変貌した。そして春蚕、夏蚕、秋蚕と年3回の養蚕で繭を売り、その屑繭及び玉繭等の副産糸から座繰り手引きして紬を織り大石紬は生まれたのである。
江戸時代末には租税としても現物で物納されたこの紬は、富士山を崇拝する富士構などの客人や、行商人の手によって広く売り出され、明治、大正の頃に改良が重ねられ現在の大石紬に至っている。
この紬の全盛期である明治の末から昭和初期にかけては、二百五十戸余りの農家によって紬が織られ年間三千四百反余りが生産されていた。この紬は、伝統的手法により経糸を本繭(一匹の蚕が作った正常の繭〕から、緯糸を玉繭(二匹の蚕が作った変形した繭)からすべて座繰り手引きしたものを一反または一疋に機織したもので特徴は、丈夫で軽く、柔らかくそしてまた、絹特有のすべりの良さとなにより堅牢で絹織物と紬織物の両面をあわせ持つ他の紬織と異なった風合いを持っている。
大石紬の製作行程
座繰製糸するに可能な繭の選定
座繰製糸する為に繭を煮る(適温に保つ)
経糸は本繭から、そして緯糸は玉繭から座繰り手引き
座繰りした糸を三本に合わせて一本にする、この糸を更に三本に合わせて実際の織り糸にする。
織糸を洗浄する。(セリシン除法)
織糸をくれにして太い丸太棒に、また一方にも細い丸太棒を通し、何回となくほかしては位置を変え、指先にて精整する。
織糸を染め上げる。(草木染め等)
織糸に糊を付ける。
織糸をくれにして太い丸太棒に、また一方にも細い丸太棒を通し、何回となくほかしては位置を変え、指先にて精整する。
仕上がった糸を十分に乾燥させる。
緯糸を杼に使う管に巻く。
緯糸を枠にあげ返す。
経糸の長さを一定にする。
織物が縞の場合、経糸の縞を割る。
経糸を巻き取り織機にかける。
経糸を綜こうに通す。
経糸を筬に通す。
織りだし。
仕上げ調整。